震災直後のまちのようす
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地震が起こった時、理事長の今村は磯鶏の自宅(兼NPO事務所)にいた。
ただならぬ大きさの地震だったので、彼は何はともあれ犬だけを車に入れて、ひたすら逃げた。
途中、映像にある最も標高に低い市役所前を通って、高台の崎山に逃げた。
逃げ足が早かったので、津波の押し寄せる前に逃げてしまっていた、
自宅には、大切なものがたくさんあったハズだが、彼は犬だけを連れてひたすら逃げた。
いまでも言う、「犬のお陰で助かった」と。
彼はNPO仲間の経営する民宿「治郎兵衛家」に行った、女遊戸(オナツペ)も被災したが、
民宿は海岸よりもかなり奥にあったので、被災しなかった。
(彼は、その後1ヶ月間、そこで避難所生活している)
翌日、町をみに行こうとしたが、入れなかった。
その次の日3/14、国道遠くに車を停めて、歩いて回り、
たくさんの写真を撮ってあったので、その一部を紹介します。
なお、映像は「震災直後の映像」としてトップページ下段に載せています。
すでに道路からの瓦礫は脇に寄せられていた。、
鉄橋も流されており、船も繁華街にまで流されていた。
ただならぬ大きさの地震だったので、彼は何はともあれ犬だけを車に入れて、ひたすら逃げた。
途中、映像にある最も標高に低い市役所前を通って、高台の崎山に逃げた。
逃げ足が早かったので、津波の押し寄せる前に逃げてしまっていた、
自宅には、大切なものがたくさんあったハズだが、彼は犬だけを連れてひたすら逃げた。
いまでも言う、「犬のお陰で助かった」と。
彼はNPO仲間の経営する民宿「治郎兵衛家」に行った、女遊戸(オナツペ)も被災したが、
民宿は海岸よりもかなり奥にあったので、被災しなかった。
(彼は、その後1ヶ月間、そこで避難所生活している)
翌日、町をみに行こうとしたが、入れなかった。
その次の日3/14、国道遠くに車を停めて、歩いて回り、
たくさんの写真を撮ってあったので、その一部を紹介します。
なお、映像は「震災直後の映像」としてトップページ下段に載せています。
すでに道路からの瓦礫は脇に寄せられていた。、
鉄橋も流されており、船も繁華街にまで流されていた。
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