三陸復興への思い
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三陸復興への思い
msg# 1
go
投稿数: 113
オンライン
私(高橋GO、当web開発・管理者)は岩手県内陸部の盛岡在住だが、
昔から三陸地方には岸壁釣りや船釣りになど頻繁に通っており、とても気に入っていた。
2002年、私が岩手県「いわてNPOサポートルーム」の事務局長をしていた時期に、
同級生(県議会議員議長・伊藤勢至、宮古選挙区)がサポートルーム訪ねてきて、
宮古地区の若手たちがNPOを作りたいと相談に来ているので、
彼らの相談に乗ってくれないか、ということがあった。
私はそれを承諾し、若者グループと頻繁に会合などを積み重ね、
そして、2004年6月にNPO法人三陸自然環境新産業プラットフォームを設立登記した。
立ち上げたんだし、運営を指導してくれないかと頼まれ、
最初の3年間を理事長として活動しながら形をつくり、
その後は理事長を今村正にバトンタッチして、
彼の得意とする環境活動を陰ながらバックアップしてきていた。
ところが、2011年3月11日、けたたましい地震が起き、大津波となって
三陸沿岸部一帯は廃墟と化してしまった。
私は、NPO仲間が心配だったけど、電話連絡も取れず、
駆けつけようにも交通規制で行けず、やっと規制が解除になったら、
今度はガソリンが無いときた・・・、
やっとガソリン満タンにして行けたのは2週間後の3月27日だった。
すでに瓦礫は道路から片付けられていたが、
壮絶極まる光景だった。
NPO事務所(兼今村理事長住宅)も被災して使える状態になく、
避難生活の理事長に会い、仲間の状況を聞き、
一緒に避難所などの仲間に会いに回った・・・。
NPO仲間の大半は、家屋を失い、旦那さんや兄弟を失った者、
山田地区のリーダーも亡くなったりしていた・・・・。
私に、いったい、何が出来るのだろうか?
昔から三陸地方には岸壁釣りや船釣りになど頻繁に通っており、とても気に入っていた。
2002年、私が岩手県「いわてNPOサポートルーム」の事務局長をしていた時期に、
同級生(県議会議員議長・伊藤勢至、宮古選挙区)がサポートルーム訪ねてきて、
宮古地区の若手たちがNPOを作りたいと相談に来ているので、
彼らの相談に乗ってくれないか、ということがあった。
私はそれを承諾し、若者グループと頻繁に会合などを積み重ね、
そして、2004年6月にNPO法人三陸自然環境新産業プラットフォームを設立登記した。
立ち上げたんだし、運営を指導してくれないかと頼まれ、
最初の3年間を理事長として活動しながら形をつくり、
その後は理事長を今村正にバトンタッチして、
彼の得意とする環境活動を陰ながらバックアップしてきていた。
ところが、2011年3月11日、けたたましい地震が起き、大津波となって
三陸沿岸部一帯は廃墟と化してしまった。
私は、NPO仲間が心配だったけど、電話連絡も取れず、
駆けつけようにも交通規制で行けず、やっと規制が解除になったら、
今度はガソリンが無いときた・・・、
やっとガソリン満タンにして行けたのは2週間後の3月27日だった。
すでに瓦礫は道路から片付けられていたが、
壮絶極まる光景だった。
NPO事務所(兼今村理事長住宅)も被災して使える状態になく、
避難生活の理事長に会い、仲間の状況を聞き、
一緒に避難所などの仲間に会いに回った・・・。
NPO仲間の大半は、家屋を失い、旦那さんや兄弟を失った者、
山田地区のリーダーも亡くなったりしていた・・・・。
私に、いったい、何が出来るのだろうか?
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宮古に移り住む
msg# 1.1
go
投稿数: 113
オンライン
それ以来、何度か宮古に通い、今村から被災から立ち直ろうとする人々の話を聞いた。
・全てを失った人たちの悲痛な心
・被災の有無での人心の格差と離反する心
・支援物資を貰い続けることによる感謝心の衰退
・被災者への支援政策が自立心を削ぎはじめていること
・政府行政の対応の悪さの被災者から声
・・・・
私は、来る度に、ショックを受け、ますます何をしたら良いのか、茫然自失の状態が続いた・・・。
そんな私を尻目に、今村は元気だった、
実は2年前から不動産業を始めてたこともあって
住宅事情を知っており、
・被災者からの移転先情報を求められていたこと
・復旧のための外部支援部隊の宿泊先が皆無状態だった
ことなどもあって、
彼は、いち早く下宿事業を始めたのであった。
彼はNPO理事長として、「NPOとしての下宿提供事業」をはじめていたのだ!
彼の下宿提供事業は、
・復旧のための遠地企業労働者の中期受入れの確保
・賄い婦たちの雇用の提供(会「ふきのとう」7名)
・映像技術者を下宿管理人として僅かながらの収入の確保
しかも、下宿提供事業を始めるためには初期資金が要る、私財150万円以上を投入して、
・改装、各種の厨房機材、20名の食事食器類、宿泊寝具類などを準備した。
まさに、人のための雇用づくりと復旧間接支援という思いから始めたものだった。
(彼は、投入資金を回収しようという考えは毛頭無かった、不動産業で得た僅かな利益を全て投入しているのだ、頭が下がったね・・)
彼は私に対して、
・平和ボケの盛岡から見下ろしても何も役に立たないぞ!
・宮古に来て、現場を見ろ、人々を感じろ!
と、行く度に私を求めてきた。
そして、住む部屋は用意する、部屋代食事代も要らない、
体一つ来ればいい! ネット環境の費用も出す!
とまで言われたら、
これほどまでも私の力を求めているのか、人生男冥利に尽きる!
と、私は宮古への移住を決意した。
(私は4世代8人家族で家長ではあるが、私が常時居なくとも多少の不都合はあるものの家は回っていくのだったから・・・)
光回線の申請から1ヶ月半、ネット開通した5月28日に、私は引越しをした、NPO仮事務所の始りである。
翌日から日が経つにつれて、私の苦悩はますます大きくなっていく・・・
・全てを失った人たちの悲痛な心
・被災の有無での人心の格差と離反する心
・支援物資を貰い続けることによる感謝心の衰退
・被災者への支援政策が自立心を削ぎはじめていること
・政府行政の対応の悪さの被災者から声
・・・・
私は、来る度に、ショックを受け、ますます何をしたら良いのか、茫然自失の状態が続いた・・・。
そんな私を尻目に、今村は元気だった、
実は2年前から不動産業を始めてたこともあって
住宅事情を知っており、
・被災者からの移転先情報を求められていたこと
・復旧のための外部支援部隊の宿泊先が皆無状態だった
ことなどもあって、
彼は、いち早く下宿事業を始めたのであった。
彼はNPO理事長として、「NPOとしての下宿提供事業」をはじめていたのだ!
彼の下宿提供事業は、
・復旧のための遠地企業労働者の中期受入れの確保
・賄い婦たちの雇用の提供(会「ふきのとう」7名)
・映像技術者を下宿管理人として僅かながらの収入の確保
しかも、下宿提供事業を始めるためには初期資金が要る、私財150万円以上を投入して、
・改装、各種の厨房機材、20名の食事食器類、宿泊寝具類などを準備した。
まさに、人のための雇用づくりと復旧間接支援という思いから始めたものだった。
(彼は、投入資金を回収しようという考えは毛頭無かった、不動産業で得た僅かな利益を全て投入しているのだ、頭が下がったね・・)
彼は私に対して、
・平和ボケの盛岡から見下ろしても何も役に立たないぞ!
・宮古に来て、現場を見ろ、人々を感じろ!
と、行く度に私を求めてきた。
そして、住む部屋は用意する、部屋代食事代も要らない、
体一つ来ればいい! ネット環境の費用も出す!
とまで言われたら、
これほどまでも私の力を求めているのか、人生男冥利に尽きる!
と、私は宮古への移住を決意した。
(私は4世代8人家族で家長ではあるが、私が常時居なくとも多少の不都合はあるものの家は回っていくのだったから・・・)
光回線の申請から1ヶ月半、ネット開通した5月28日に、私は引越しをした、NPO仮事務所の始りである。
翌日から日が経つにつれて、私の苦悩はますます大きくなっていく・・・
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夢は癒しの国づくり
msg# 1.1.1
go
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オンライン
このNPOが立ち上がった直後の6年前ころ、私は、三陸沿岸こそ日本を代表するの「癒しの国」の一つになれるのではないか、と思えてならなかった。
癒しの国とは、そこの住む人も、訪れる人も、こころから癒される地域、と定義したとすると、癒しの国って、どんな要素が必要なんだろうか? と考えた。
基本的には、その地域に必要なものは、豊かな自然を土台として、そこで育まれてきた独特の風土・文化があり、環境にやさしい農林漁業とその付加価値サービスなどの自然産業が人々の暮らしを支えている地域であることだけれど・・・、
私は、地域の豊かさは、地域だけの力では保てないと思っている。
国や行政の振興政策がきめ細かく働いているようだけど、ボーダーレスな経済がますます地方を脅かし、雇用が減少し若者が流出して高齢者だけが細々と生業を営なんでいく、という、ますます地方が元気でなくなっていく流れをみると、この豊かであるはずの地域には、もっと持続的永続的な働きかけの仕組みが必要だと思った。
そこで、全国的に進んでいるのが、産直センターなどで地場産品をアピールしたり、ネット販売でコミュニティを広げる、交流人口を増やす、などと言ったカタチで盛んになったようにも見えるが、まだ力不足だと思えてならない。
私は、癒しの国とは、都市生活者の限りない参画が不可欠だと思っている。
参画とは、オーナー制やマイクロファンドも見受けられるが、
もっと力強い、都市生活者の知恵や人材が参画してこなくてはならない、その個人を通じて、都市企業の資源や資金も導入できて、
同時並行的に都市の成熟した生活者マーケットを括れる流通・サービス企業にも直接参画するものでなければならないのではないか、と考えた。
もちろん、これらが実現するには、都市生活者の個人としての感性が起点となると思うので、
マスツーリズム(大衆観光)ではなく、オルターナティブ・ツーリズム(多様な価値を発見し地域と深く繋がっていけるような旅)を受け入れる癒される居場所が重要かつ不可欠であると思う。
夢や構想は誰にでもできる、ネットなどで調べれば情報はいくらでも出てくる・・・、
いったい、どうやって実現していったらいいんだろう??
癒しの国とは、そこの住む人も、訪れる人も、こころから癒される地域、と定義したとすると、癒しの国って、どんな要素が必要なんだろうか? と考えた。
基本的には、その地域に必要なものは、豊かな自然を土台として、そこで育まれてきた独特の風土・文化があり、環境にやさしい農林漁業とその付加価値サービスなどの自然産業が人々の暮らしを支えている地域であることだけれど・・・、
私は、地域の豊かさは、地域だけの力では保てないと思っている。
国や行政の振興政策がきめ細かく働いているようだけど、ボーダーレスな経済がますます地方を脅かし、雇用が減少し若者が流出して高齢者だけが細々と生業を営なんでいく、という、ますます地方が元気でなくなっていく流れをみると、この豊かであるはずの地域には、もっと持続的永続的な働きかけの仕組みが必要だと思った。
そこで、全国的に進んでいるのが、産直センターなどで地場産品をアピールしたり、ネット販売でコミュニティを広げる、交流人口を増やす、などと言ったカタチで盛んになったようにも見えるが、まだ力不足だと思えてならない。
私は、癒しの国とは、都市生活者の限りない参画が不可欠だと思っている。
参画とは、オーナー制やマイクロファンドも見受けられるが、
もっと力強い、都市生活者の知恵や人材が参画してこなくてはならない、その個人を通じて、都市企業の資源や資金も導入できて、
同時並行的に都市の成熟した生活者マーケットを括れる流通・サービス企業にも直接参画するものでなければならないのではないか、と考えた。
もちろん、これらが実現するには、都市生活者の個人としての感性が起点となると思うので、
マスツーリズム(大衆観光)ではなく、オルターナティブ・ツーリズム(多様な価値を発見し地域と深く繋がっていけるような旅)を受け入れる癒される居場所が重要かつ不可欠であると思う。
夢や構想は誰にでもできる、ネットなどで調べれば情報はいくらでも出てくる・・・、
いったい、どうやって実現していったらいいんだろう??
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まずやることは震災復興支援
msg# 1.1.1.1
go
投稿数: 113
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癒しの国づくりは、被災地の方々には綺麗ごと過ぎる。
被災地住民にとって、いまは、如何にして生きていくことができるかか、最重要な問題である。
国や行政のの復興支援策が徐々に実施されてきており、支援物資も徐々に満たされてきている、義援金も配分されてきているが、一人ひとりにとっては雀の涙でしかない。
我々NPOでは何が出来るのだろうか?
資金があれば、いろんなきめ細かな支援ができるんだけど、
資金がない状況では、「元気になろう!企画事業」しか思い浮かばない、まずはこれからはじめようと思っている。
被災地住民にとって、いまは、如何にして生きていくことができるかか、最重要な問題である。
国や行政のの復興支援策が徐々に実施されてきており、支援物資も徐々に満たされてきている、義援金も配分されてきているが、一人ひとりにとっては雀の涙でしかない。
我々NPOでは何が出来るのだろうか?
資金があれば、いろんなきめ細かな支援ができるんだけど、
資金がない状況では、「元気になろう!企画事業」しか思い浮かばない、まずはこれからはじめようと思っている。
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癒しの国づくりの活動
msg# 1.1.1.2
go
投稿数: 113
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癒しの国づくりは息の長い活動だ。
特に震災で壊滅したマイナス次元から立ち上げることは、とても不可能に近いと思われるけど・・・、
逆に、壊滅状態だからこそ、ゼロから考えることもできると思っている。
国や行政や業界に頼り切ってしまう受け身なメンタリティではなく、
産業対策の出動を待っていてはいられない、という想いの人はたくさんいる。
資金があれば、どんどん進めたいのだけれど、
無いならないなりの活動から始めていくしかありません・・・。
特に震災で壊滅したマイナス次元から立ち上げることは、とても不可能に近いと思われるけど・・・、
逆に、壊滅状態だからこそ、ゼロから考えることもできると思っている。
国や行政や業界に頼り切ってしまう受け身なメンタリティではなく、
産業対策の出動を待っていてはいられない、という想いの人はたくさんいる。
資金があれば、どんどん進めたいのだけれど、
無いならないなりの活動から始めていくしかありません・・・。
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ヒューマン基金の構想
msg# 1.1.2
go
投稿数: 113
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国や行政の地方振興策と人材には限界がある
NPOにも地域にも支援のための資金は少ない
NPOに活動資金を提供する多くの財団はあるが、まれに当たる補助金程度では難しい
この癒しの国づくりへの熱い想いを実現するには、なんとしても活動資金が欲しい。
NPO独自で活動資金を集めることはできないだろうか?
信用も実績もないNPOに基金が集まるんだろうか?
ま、やって見るしかないですね、
いまは資金がなくとも、やれる活動ことをしっかりやっていき、信用してもらうしかないでしょうね。
NPOにも地域にも支援のための資金は少ない
NPOに活動資金を提供する多くの財団はあるが、まれに当たる補助金程度では難しい
この癒しの国づくりへの熱い想いを実現するには、なんとしても活動資金が欲しい。
NPO独自で活動資金を集めることはできないだろうか?
信用も実績もないNPOに基金が集まるんだろうか?
ま、やって見るしかないですね、
いまは資金がなくとも、やれる活動ことをしっかりやっていき、信用してもらうしかないでしょうね。
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これまでの、これからの活動(8月現在)
msg# 1.1.2.1
go
投稿数: 113
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当NPOは、
●これまでこんな活動をしてきました
(詳しくは別トピックにて)
・環境活動のための研修会、指導者育成
・海や川の水質浄化活動
・養殖カキの生育促進の支援(生産性が格段に上がっている)
・環境に優しい廃油石けん作りとその普及活動
●これまでの震災復興支援活動(8月現在)
(詳しくは別トピックにて)
・独自の支援物資の配給(一部は行政と連携)
・下宿提供事業による雇用創出と宿泊所の安価提供
・住宅・店舗の情報の提供とコンサルティング
・会員やその友人からの要請に応える活動(開業物資探しなど)
・広島お好み焼き提供(ようきや本舗)支援事業(1ヶ月間以上サポート)
・コンサルタントHRI社の復興支援活動をコーディネイトし連携した活動
●これからの復興支援活動
・会員でできる復興支援活動
・元気になっていただく補助金事業(申請中)
・コンサルタン会社HRI社と仲間たちの連携する復興支援事業
・癒しの国づくりに関心ある人たちの居場所づくり
・ヒューマン基金の創設と活動助成金事業
●これまでこんな活動をしてきました
(詳しくは別トピックにて)
・環境活動のための研修会、指導者育成
・海や川の水質浄化活動
・養殖カキの生育促進の支援(生産性が格段に上がっている)
・環境に優しい廃油石けん作りとその普及活動
●これまでの震災復興支援活動(8月現在)
(詳しくは別トピックにて)
・独自の支援物資の配給(一部は行政と連携)
・下宿提供事業による雇用創出と宿泊所の安価提供
・住宅・店舗の情報の提供とコンサルティング
・会員やその友人からの要請に応える活動(開業物資探しなど)
・広島お好み焼き提供(ようきや本舗)支援事業(1ヶ月間以上サポート)
・コンサルタントHRI社の復興支援活動をコーディネイトし連携した活動
●これからの復興支援活動
・会員でできる復興支援活動
・元気になっていただく補助金事業(申請中)
・コンサルタン会社HRI社と仲間たちの連携する復興支援事業
・癒しの国づくりに関心ある人たちの居場所づくり
・ヒューマン基金の創設と活動助成金事業
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